西垣和子「丹波木綿」と明治建築
2009年の兵庫県古民家再生支援事業で再生提案した西垣邸の紹介です。

NEWS!! 丹波木綿の西垣和子さんの展覧会が、姫路で開催されます。ぜひ、その作品をご覧になって、明治の名建築である西垣家住宅の維持・活用への夢を共有していただければ幸いです。

NEWS!! 丹波木綿の西垣和子さんの展覧会が、姫路で開催されます。ぜひ、その作品をご覧になって、明治の名建築である西垣家住宅の維持・活用への夢を共有していただければ幸いです。

☆みんぱく所蔵の作品も多数、寄せています。
糸から、染めから妥協のない織、簡素な中に華のある作品群です。
西垣さんの足跡を丹波木綿伝承のきっかけに!、
と多方面とコラボされています。
展覧会の主な内容
清水公照との交流について
7つ年下、妹のように思っていたとされる西垣和子(1918-2008)と公照さん(1911-99)の交流が知れる。公照からのお便りには親しげで慈愛あふれる言葉が自然に並んでいる。
絵日記(巻き紙)の折々に記された交流の記録、西垣和子さんのギャラリーでの個展時に寄せた言葉など多数。西垣さんが織った輪袈裟をかけた公照さんの写真も。西垣さんとの交流は東大寺などの残された織物を西垣さんが研究のために訪ねてこられたことから。西垣さんの織物は作務衣や甚兵衛に仕立て、好んで纏っておられていたようである。
西垣さんに送った白紙子(かみこ・紙衣とも)、てすさびに書いたと記されて送られた絵、掛け軸や、泥仏、丹波木綿を思わせ信楽焼に絵付けしたお茶碗など、昭和40年代後半から50年代にかけての交流の跡がくっきり浮かび上がる展示でした。
丹波布と丹波木綿
青垣町佐治中心に織られた丹波布を含めて、丹波地方でおられた木綿が「丹波木綿」。S6調査(染織家上村六郎)あり、柳宗悦が「丹波布」と命名、丹波布はS29年復興、S33無形文化財指定。丹波布の特徴は、植物染め、手紬ぎ、手織り、つまみ糸(繭のくず、絹を染めずに部分的に用いること)、縞や格子の中に中に絹糸がわずかに光る。

西垣さんは、京都でろうけつ染めを学んだ後、故郷丹波に戻り、綴れ織から織物の世界に入った。S35から丹波布に入り、のちに丹波木綿全体をを手がけるようになる。丹波全体の縞柄の収集。色彩感覚が何より重要とし、伝統を学びながらモダンな作風に飛躍するのが西垣の個性といえる。
ろうけつ染めの大屏風やついたて、公照が書を入れた綴れ織の帯の色は鮮やか。
種繰り機、糸巻き
西垣さんは、「糸つむぎ」が一番大切な工程とし、長い間の経験からつむぐ人の性格がそのまま糸に表れることがわかってきたと記している。「まじめな人のは素直な糸、気の荒い人のは荒い糸。」-朝日新聞

篠山の染屋で藍染めをするほかは、栗の皮から濃い茶色、山桃皮から薄い茶、ハンの木から黄色の少し濃い茶、媒染剤を石灰やミョウバンにすることでも色味が変る。茜、クチナシ、ゲンノショウコ、紅花、ヤシャブシ、ゲンノショウコ、化学染料も使い自宅で染める。
みんぱく・西垣家所蔵の反物、着物の数々
「手を残すこと。昔のいいもの優れたものを踏まえた上で、自分の作品を作り出すことが大切なので、今までわずかに残っている丹波布などの裂端を集めて復元する、いわば基礎の資料造りに全力を注いできました」-神戸新聞
「丹波の女性がみんな心魂をこめた木綿ですが、それを復元してみると土地に根ざした伝統のうえに、やっぱり私自身のものがにじみ出てきます。その意味では創作ともいえましょうか。」-朝日新聞
西垣和子ノートの分類
丹波布
紙布(糸の代わりに和紙を細かくちぎり、柔らかくもみこれを基調に横糸に織り上げたもの、 夏の夜具に向き、洗濯もOK)
くず布
裂織
大絣縞
大柄布団縞
地太物
色変わり(絹糸を加えたもの晴れ着など
前期1960年代
中期1970年代
後期1980年代
42才から織り始め、20年間に300反以上。
みんぱくの加藤久祚(1922-)を通じ、民博に150反の手織り木綿と道具を納める。
安政6年(1859年)の縞帳、祖母の西垣なおの縞帳など多彩。染め剤の分析や感想が記されている。
紙布は、古文書500枚、を使った紙布斑は文字の跡ところどころに見える朱は朱肉の跡。
布団地などであったものの縞の間隔や太さを変えて着物地に織直したもの多い。
「縞帳」とは家々に大切に保存され、織物のサンプル帳として伝えられた和綴じの粗末な帳面で、反古紙を台紙に裂端を見本を貼り付ける。他家のものも、唐桟、袴地、仙台平、生活様式の変化で現在は新しいものの発見はむずかしい。200年にわたる貴重な資料もある。
西垣家縞帳
「幼い日、祖母の機道具の中に見た。粗末な小さいものであるが、哀れに可憐なものとして目に写った。後年復元への意欲を燃やすに至った出発発点といえるかもしれない。古着は災害の折に、火事見舞い水見舞いの品としておしげもなくだされ家にはほとんど残っていない。
祖母一代の小さい縞帳で判取帳の古いものをつかっている。」
縞の種類
小格子縞、変わり格子、子持ち格子、絣、棒縞、やたら縞、飾り縞、自家製のくず繭で織る 大名縞、中小縞
着物の仕立て方
肩身替り、切継ぎ、の着物、羽織
「短い一本の糸でそれぞれの記憶があり、文様でない模様が浮き、沈み、たゆとうそれがくず布というものでしょう。」-朝日新聞
「織始めたらいちもくさん。のんちゃん雲にのる ほのぼのと夢見心地というのでしょうか。」-毎日新聞
文化人との交流
渡辺誠弥(「聞き書き職人列伝」、飛鳥藍染織館の館長)
辻合喜代太郎(1908-93)
丸岡秀子
邊見泰子
「織物もひとつの抽象画・・・。」
2009年古民家再生提案の内容
提案テーマ
「丹波木綿」伝承の場として甦る明治建築
・・・丹波木綿を知ってください、そして、ようこそ柏原へ。

再生のポイント
展示スペースの創出と招客のための修景
棟梁西垣竹蔵と丹波木綿西垣和子
旧柏原町は地域を代表する城下町として藩政時代から栄え、現在も柏原藩陣屋跡など貴重な歴史遺産を有した町。そんな柏原藩旧「屋敷町」に明治30年ごろ、西垣棟梁が家を建てる。

棟梁の家/明治の名棟梁の気骨あふれる建物
行き届いた平面プランを持ち、面皮を多用した造作や天井の張り板にその好みを表している。
小屋組も簡潔で「建築家」西垣竹蔵をも垣間見える独自性ある建築。

丹波木綿の復元と創作/丹波木綿に捧げた人生
孫の西垣和子がここを「丹波木綿」の復元と創作の場にし、かつシンプルで清潔な生活を営む。
床廻りや襖にも好みがよく表れていて、この建物に気品が充満している。
没後、和子さんの足跡・業績は、その芸術性や人的交流とともにひもとかれていて、ここが新しい「丹波木綿」継承の場になることが望まれている。

再生のポイント1.修景・・・招客の演出
2.段差の緩和
3.展示空間の創出
4.事務局整備
5.庭の利用

丹波の織姫 西垣和子さんは、その人生を丹波木綿の復元と創作に捧げました。丹波の風土、草木は、丹波木綿を育む素地です。
そこに絵を描くように、この地で再び丹波木綿と向き合って下さる方との出会いを求めています。
今、西垣家が静かに動き出しました。
建物の再生だけでは、本来の再生はできません。
皆様の小さな関心が、こうした取り組みを支えてくださいますように・・・。
・・・ぜひ、柏原においでください。
| 丹波木綿譜 (1967年) 辻合 喜代太郎 衣生活研究会 1967 by G-Tools |
| 丹波布縞帳 (1964年) 上村 六郎 京都書院 1964 by G-Tools |
![]() | 木綿以前の事 (岩波文庫) 柳田 国男 岩波書店 1979-01 by G-Tools |
![]() | 木綿再生 (ものと人間の文化史) 福井 貞子 法政大学出版局 2009-09 by G-Tools |
![]() | 裂織―木綿生活誌 (ものと人間の文化史) 佐藤 利夫 法政大学出版局 2005-09 by G-Tools |
西垣邸近く、同時代の明治建築 柏原の力大手会館(旧氷上高等小学校校舎・県指定文化財)は、耐震対策を含めた改修工事を実施し、保存・活用をする予定だそうで、平成23年度は、その耐震調査及び実施設計を実施されます。明治建築らしく愛らしい姿です。今後が楽しみですね。(平成23年度予算ガイド参照)
旧氷上郡高等小学校校舎(大手会館)建築概要:
木造2階建で、明治18年(1885)築、附棟札1枚明治18年の記のあるもの、門、門柱、敷石、柵、基礎石)
S41・1966年丹波市の指定文化財となるが、その後2009年県の指定になる。![]()





