
万葉集で有名な大和三山(香具山、畝傍山、耳成山)を結ぶ三角の中に私の生まれた八木の町があり、そこは横大路(伊勢街道・初瀬街道・大坂街道)と下ツ道(中街道・八木街道・吉野街道)という街道が交差するかつての交通の要所です。
左の図をご覧いただくと、下ツ道・横大路がいかに古代より重要な道であったかがわかります。
横大路(伊勢街道・初瀬街道)
壬申の乱(672年天智天皇の太子・大友皇子に皇弟・大海人皇子(天武天皇)が反旗し、大海人皇子が勝利した日本古代最大の内乱)にはあったといわれる東西の直線古道のひとつ。東を桜井駅の南西、寺川の小西橋とし、西は近鉄南大阪線磐城駅近くの鳥飼で竹之内街道と接続。全長12.7km。
下ツ道(中街道、八木街道)
上ツ道、中ツ道と並ぶ、南北の直線古道。南端は見瀬丸小山古墳。八木札の辻で横大路と交差し北上します。北端は、大和郡山市の来世「平城京の羅城門」跡。
ここ八木界隈は、往時には、商家や宿屋が並びとてもにぎわったそうです。昭和40年代ごろまではこの本町通り(旧下ツ道)は目抜き通りでした。
となり町に歴史的町並みを残すことで有名な今井町があるため、歴史街道としては少々影が薄い町。でも、高度経済成長時のスクラップ&ビルドの波をなぜかそう受けずに、ひと昔前の姿を今も残していてくれているのはうれしいことです。('01年当時から約10年、街道沿いの伝統町家のおよそ20%が解体もしくは建替えなどにより改変されました)
そのありがたみを今頃になって想うのは、歳のせいかと、少し複雑な心境ですが、ここに誇りを持って町並みをみなさんにお伝えすることにしました。
住人が極端に減り、大区画のお屋敷にひとり暮らしも珍しくなく、子達の姿もない静かな本町界隈ですが、頑固に昔のたたずまいに普請のエネルギーを注ぎ込んでいる方がいらして、これはとてもうれしいこと。とり立てて町並み保存をうたわなくても、こつこつと、ただ、今まで通りというだけ。好きだから、いいから、前あったように直す、繕う、というのがいいなぁ。
実家の愛犬をひきつれて、子供のころの獣道、屋敷廻りの細路地をぐるぐる回っていると、幼少に帰るわたしがいます。ふるさと探検はつづく・・・。(2001.05.20)

壬申の乱(672年天智天皇の太子・大友皇子に皇弟・大海人皇子(天武天皇)が反旗し、大海人皇子が勝利した日本古代最大の内乱)にはあったといわれる東西の直線古道のひとつ。東を桜井駅の南西、寺川の小西橋とし、西は近鉄南大阪線磐城駅近くの鳥飼で竹之内街道と接続。全長12.7km。
下ツ道(中街道、八木街道)
上ツ道、中ツ道と並ぶ、南北の直線古道。南端は見瀬丸小山古墳。八木札の辻で横大路と交差し北上します。北端は、大和郡山市の来世「平城京の羅城門」跡。

となり町に歴史的町並みを残すことで有名な今井町があるため、歴史街道としては少々影が薄い町。でも、高度経済成長時のスクラップ&ビルドの波をなぜかそう受けずに、ひと昔前の姿を今も残していてくれているのはうれしいことです。('01年当時から約10年、街道沿いの伝統町家のおよそ20%が解体もしくは建替えなどにより改変されました)
そのありがたみを今頃になって想うのは、歳のせいかと、少し複雑な心境ですが、ここに誇りを持って町並みをみなさんにお伝えすることにしました。
住人が極端に減り、大区画のお屋敷にひとり暮らしも珍しくなく、子達の姿もない静かな本町界隈ですが、頑固に昔のたたずまいに普請のエネルギーを注ぎ込んでいる方がいらして、これはとてもうれしいこと。とり立てて町並み保存をうたわなくても、こつこつと、ただ、今まで通りというだけ。好きだから、いいから、前あったように直す、繕う、というのがいいなぁ。
実家の愛犬をひきつれて、子供のころの獣道、屋敷廻りの細路地をぐるぐる回っていると、幼少に帰るわたしがいます。ふるさと探検はつづく・・・。(2001.05.20)

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