古い町並みや街区割り(街道・路地と民地による敷地割り)、周辺のまちとのつながり、目に見える景色や建物や行き交う人びとの他にここに暮らす人びとが担ってきた歴史や文化・経済などの直接目に見えないことにも、わが故郷と思えば愛着があります。
もちろん、いいことばかりではありません。
土建型行政による町の人にとって必ずしも必要でない施設や、悪習もあります。ひとりよがりな住民による迷惑な行為もあります。
古く、住みづらい「何か」のためにもうここには住みたくない人びともいますし、外から来てここには住みにくいと考える人びともいます。
そのためかどうか、まちなかの人口、とくに子供たちの姿が減りました。身近な店も減り、とりわけ住民の台所として親しんできた大型のマーケットやコンビニ店まで撤退・閉店を続けたため、国道や踏切を渡らないと日々の買い物にも苦労が見られるようになりました。
見通しの悪い、また狭い道割のため、住まいの建替えができなかったり、車を寄せられない、下水道が普及しづらいなどの問題もおこっています。
路地の奥では緊急時の避難、防災・減災の観点で大きな不安も予測されます。
平和で温暖と思われるこの土地で、緩やかに共に住みつないできた今まであった事象のさまざまを俯瞰してみると、もう少し人びとが知恵を出し合い、もっと住みよくできるのではと思います。
誰もが「自分が優先」であるのは、しかたありませんが、少し譲って誰かのためではなく、なんとなく町がよくなることを想像して一歩踏み出せないでしょうか?
八木の町並みはだれのものか?110912
近世から近代にかけて、今八木の町に見る古い屋敷群+裏長屋群ができあがっていきました。一分を除いて、この町は周辺のもっと古い集落からの移住組も多く、「きわらや」「つちはしや」など近在の村落の名前を屋号にしていた家も多いようです。
街道筋に大屋敷を持つ家々は、自ずと富裕な層で建物も多くががっちり、間口も広く立派です。比較的庶民的な町家は、いわゆる持ち家普請と借家普請、戸建てと連棟(長屋)などがこれも入り交じって建っています。時代性もあり、八木経済の時間的な移り変わりもそこに反映しています。昭和50年代までは街道筋では下駄屋、洋品屋、八百屋、石屋、桶屋・・・と商家が軒を連ね、中でも井戸の辻からJR桜井線踏切まではアーケードを有する南本町商店街まであり、地域で住む人・商う人が昼間人口を保っていたようです。

いっぽう街道から路地を入ると、昔は田畑であったであろう平地ですから、きままに四方に民家の広がりがあります。
町家の広がり方、変容は、多分ですが、
昔下ツ道に民家が点在→近世以降横大路に点在→八木の中心地「札の辻」を中心に線的に広がる→路地奥に借家が建つ→明治後期の国鉄畝傍駅やその前の産業道路あたりがにぎわう→新道など新しい通りができ民家が建つ→ぐんと人口が増え、下ツ道・産業道路沿いに商家が集まる→昭和初期、近鉄線ができ町の中心が八木駅に移行→周辺の田んぼにどんどん民家が建ち人口が増える【ここまで戦前】→【ここから戦後】大阪のベッドタウン化→ため池の埋め立て、ダイヨー市場からニチイ、ダイエー→商店の撤退、店じまいと民家化→人口の郊外移転→人口減と大屋敷の小割と新民家化→短冊型田地の宅地化(戸建てとアパート)→マンション化
というわけで、現在の八木の「町並み」は新旧の町家がシャッフルしたかのようです。
さて我々が「町並み保存」というときのターゲットは何でしょうか?
時代的には、
江戸時代の建物(元茅葺きが瓦葺きになった改修もあり)
明治時代の建物
大正・昭和初期(戦前)の建物(洋館含む)
戦後の伝統的工法の建物
用途的には
町屋(町家)・商家・大店や元同左の主屋、塀、蔵など
銀行、役場、神社・仏閣
道標、環濠跡、燈籠、地割り
古木・大木
ですが、今どきの民家やアパート・マンション、ホテル、事務所ビル、ガレージはどうでしょう。
ここで、私たちは自分の財産でもない人の財産について保存すべき貴重な町並みと呼んでいることに注意しましょう。八木の思い出として印象的な風景のほとんどは大屋敷の角先や脇の塀に囲まれた空間であることが多いのですが、みんな人のものです。
こうした人のものは、そこの所有者にとっては先祖から引き継いだ財産であることが多く、自分の好みとは違うこともありながら、八木人のステイタスとして大事にされている方がおられるからこそ守っていられる建物です。
漆喰壁が落ちていたり、板壁がはがれていたりするのを大変な費用を掛けて繕いながら維持されているご苦労を当たり前のように思うのは、どこかおかしいですね。
町並み保存を思いながら、自分の家にはアルミのカーポートやアルミサッシではどこかおかしいですね。
うちはお金持ちじゃないし・・・、とか、今時家に車を止められて当たり前、コンクリートブロックでもしかたない・・・、デザインどころじゃないよ、うちは・・・。
そう、大屋敷も小屋敷も新旧なく自分の都合が何より第一です。
だから町は変容していきます。大屋敷も住み手がいなくなって、もう価値がなくなったら、屋敷守ができなくなったら、そこは売られてマンションや小規模開発(小規模戸建て)の用地になります、当然です。八木は電車の便がよく近鉄百貨店が残っている限り生活も便利ですから、住むにはいいところ。町並みがなくてもここに住みたい人はいます。

もちろん、いいことばかりではありません。
土建型行政による町の人にとって必ずしも必要でない施設や、悪習もあります。ひとりよがりな住民による迷惑な行為もあります。
![]() | 歩きたい歴史の町並 (楽学ブックス) (楽学ブックス―文学歴史) 米山 淳一 森田 敏隆 ジェイティビィパブリッシング 2010-03-26 by G-Tools |
古く、住みづらい「何か」のためにもうここには住みたくない人びともいますし、外から来てここには住みにくいと考える人びともいます。
そのためかどうか、まちなかの人口、とくに子供たちの姿が減りました。身近な店も減り、とりわけ住民の台所として親しんできた大型のマーケットやコンビニ店まで撤退・閉店を続けたため、国道や踏切を渡らないと日々の買い物にも苦労が見られるようになりました。
見通しの悪い、また狭い道割のため、住まいの建替えができなかったり、車を寄せられない、下水道が普及しづらいなどの問題もおこっています。
路地の奥では緊急時の避難、防災・減災の観点で大きな不安も予測されます。
平和で温暖と思われるこの土地で、緩やかに共に住みつないできた今まであった事象のさまざまを俯瞰してみると、もう少し人びとが知恵を出し合い、もっと住みよくできるのではと思います。
誰もが「自分が優先」であるのは、しかたありませんが、少し譲って誰かのためではなく、なんとなく町がよくなることを想像して一歩踏み出せないでしょうか?
八木の町並みはだれのものか?110912
近世から近代にかけて、今八木の町に見る古い屋敷群+裏長屋群ができあがっていきました。一分を除いて、この町は周辺のもっと古い集落からの移住組も多く、「きわらや」「つちはしや」など近在の村落の名前を屋号にしていた家も多いようです。
街道筋に大屋敷を持つ家々は、自ずと富裕な層で建物も多くががっちり、間口も広く立派です。比較的庶民的な町家は、いわゆる持ち家普請と借家普請、戸建てと連棟(長屋)などがこれも入り交じって建っています。時代性もあり、八木経済の時間的な移り変わりもそこに反映しています。昭和50年代までは街道筋では下駄屋、洋品屋、八百屋、石屋、桶屋・・・と商家が軒を連ね、中でも井戸の辻からJR桜井線踏切まではアーケードを有する南本町商店街まであり、地域で住む人・商う人が昼間人口を保っていたようです。

いっぽう街道から路地を入ると、昔は田畑であったであろう平地ですから、きままに四方に民家の広がりがあります。
町家の広がり方、変容は、多分ですが、
昔下ツ道に民家が点在→近世以降横大路に点在→八木の中心地「札の辻」を中心に線的に広がる→路地奥に借家が建つ→明治後期の国鉄畝傍駅やその前の産業道路あたりがにぎわう→新道など新しい通りができ民家が建つ→ぐんと人口が増え、下ツ道・産業道路沿いに商家が集まる→昭和初期、近鉄線ができ町の中心が八木駅に移行→周辺の田んぼにどんどん民家が建ち人口が増える【ここまで戦前】→【ここから戦後】大阪のベッドタウン化→ため池の埋め立て、ダイヨー市場からニチイ、ダイエー→商店の撤退、店じまいと民家化→人口の郊外移転→人口減と大屋敷の小割と新民家化→短冊型田地の宅地化(戸建てとアパート)→マンション化
というわけで、現在の八木の「町並み」は新旧の町家がシャッフルしたかのようです。
![]() | 日本の名景―町並 (懐かしい日本の風景) 森田 敏隆 光村推古書院 2005-07 by G-Tools |
さて我々が「町並み保存」というときのターゲットは何でしょうか?
時代的には、
江戸時代の建物(元茅葺きが瓦葺きになった改修もあり)
明治時代の建物
大正・昭和初期(戦前)の建物(洋館含む)
戦後の伝統的工法の建物
用途的には
町屋(町家)・商家・大店や元同左の主屋、塀、蔵など
銀行、役場、神社・仏閣
道標、環濠跡、燈籠、地割り
古木・大木
ですが、今どきの民家やアパート・マンション、ホテル、事務所ビル、ガレージはどうでしょう。
ここで、私たちは自分の財産でもない人の財産について保存すべき貴重な町並みと呼んでいることに注意しましょう。八木の思い出として印象的な風景のほとんどは大屋敷の角先や脇の塀に囲まれた空間であることが多いのですが、みんな人のものです。
こうした人のものは、そこの所有者にとっては先祖から引き継いだ財産であることが多く、自分の好みとは違うこともありながら、八木人のステイタスとして大事にされている方がおられるからこそ守っていられる建物です。
漆喰壁が落ちていたり、板壁がはがれていたりするのを大変な費用を掛けて繕いながら維持されているご苦労を当たり前のように思うのは、どこかおかしいですね。
町並み保存を思いながら、自分の家にはアルミのカーポートやアルミサッシではどこかおかしいですね。
うちはお金持ちじゃないし・・・、とか、今時家に車を止められて当たり前、コンクリートブロックでもしかたない・・・、デザインどころじゃないよ、うちは・・・。
そう、大屋敷も小屋敷も新旧なく自分の都合が何より第一です。
だから町は変容していきます。大屋敷も住み手がいなくなって、もう価値がなくなったら、屋敷守ができなくなったら、そこは売られてマンションや小規模開発(小規模戸建て)の用地になります、当然です。八木は電車の便がよく近鉄百貨店が残っている限り生活も便利ですから、住むにはいいところ。町並みがなくてもここに住みたい人はいます。
参考【枚方宿 まちづくり協定 3つの目標】
(1) 歴史的街なみを整え、まちを魅力づけする
(2) 生活環境として、住みよく改善していく
(3) 多くの人に愛される商業地として、元気のあるまちにする
やまと まつり旅―奈良の民俗と芸能
宮本常一 [ちくま日本文学022] (ちくま日本文学 (022))
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京都愛宕山と火伏せの祈り
絵図に見る伊勢参り
日本伝統の町―重要伝統的建造物群保存地区62
総覧 登録有形文化財建造物5000


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