関西の有名建築家が大集合!
近年にない大勢の建築家がこの日、橿原市今井町並びに八木の町を訪れ貴重なご意見をくださった。これは八木の町を愛する一住民として参加・視聴した印象記である。
八木札の辻の町並みを考える会&JIAまちづくりシンポジウム('03.11.21,22)


前日のシンポジウムの舞台奈良町は行政主導のまちづくりにあらず、住民の生活空間としての基盤を大事にしたまちづくりをしながら、住民主導のまちづくりであったそう。合わせて高口さんが袈裟姿で、いつかは古い物が亡くなっていくことにひとつの悟りを持って、過剰な保存賛否論に傾斜することなく「たしなみ、趣味としてかかわるまちづくり」を推奨なさってくださった。
これは、ほどほどに肩の力を抜いて、ゆっくり、楽しみながらいきなさい、との仰せであり、一石を投じるやさしいお言葉であったと思います。
---
今井町と八木の町
さて、当日、まず午前中は今井町を散策。これほど重文級の民家が揃い、これほど面 として町並みが残されている町はないのでほかにない。整然とした碁盤の目状に通 った通りと大小寺院、国宝民家から長屋まで混在しながら昔ながらの風情、自治、住まい方が息づいている。

一方、大和八木は近年「八木札の辻の町並みを考える会」ができ、やっとまちづくりの緒についた幼稚園児のような状態である。これは今井町と違って町を通 る主要な通り(下ッ道と伊勢街道)沿いに線状に連なる数少ない町家群とそのわずかな住民が問題の当事者であることも大きな原因であろう。

JR畝傍駅
この日今井町から蘇武橋を渡り、近代建築の和歌山銀行を見て、畝傍駅へ。この駅はかつて皇族が橿原神宮参拝時の乗降駅で、総檜造りの貴賓室がある。私の父が小さい頃は貨物の操車でにぎわいっていたと聞いており、私の代では愛宕祭りの盆踊りや遠足の乗降でよく利用した記憶がある。現在は無人駅となったこともあり、すっかりさびれた感が強く、周りの旅館や料亭、商店がどんどん閉まっていく現状である。
「八木街道」と記された踏切から見た畝傍駅 :
明治26年(1893年)、「橿原神宮」への最寄り駅(当時大阪鉄道)として誕生。大阪鉄道は、明治40年(1907年)国有化される。現在の「貴賓室」は、紀元2600年にあたる1940年(昭和15年)に、皇族利用のため新設され、1945年には、昭和天皇が畝傍御陵へ参拝の折、利用したが今は閉鎖され、活用が待たれている。駅は1984年より無人駅化。電車が着くと多くの人がこのホームから直接南の道に降りている光景はもう見慣れた風景である。
とにかく残念ながら貴賓室は存外、荒れていて、これを歴史遺産としてどうかといわれれば言葉に詰まる状態であった。あとのシンポジウムでは、畝傍駅を橿原観光の拠点としての案内所、レンタサイクルセンター、図書・資料館、ボランティアセンター、考古学サロン・・・などの利用意見がでて、なるほど、ふ〜んという感じではあったが実感がない。いかに住民が積極的に何かをしない、考えないのかがよくわかったのは半住民の我ながら皮肉なことである。
奈良県立畝傍高校
畝傍駅から井戸の辻、八木の町に入って下ッ道を下る。途中生家の長屋を見ながら、旧公務員屋敷を通 り畝傍高校へ。参加者のひとりから、設計者「岩崎平太郎」の情報を得ることができた。近代建築で有名な武田五一の弟子ともいわれ地元奈良に非常に貢献した建築家である。
←旧高級借家(表塀付き二階家2戸一が4連・元は5連か?) 突き当たりが畝傍高校
第3回JIAまちづくりシンポジウム in 奈良
『この町で生きる−歴史はまちの遺産か足枷か』
Part1 2003年11/21(金) 奈良町の挑戦
A:11:00 近鉄奈良駅からタウンウォッチング
B:14:00-17:00シンポジウム
会場:奈良市ならまちセンター
○基調講演「趣味としての町づくり」: 高口恭行(建築家 JIA、一心寺住職)
○パネルディスカッション「奈良町の挑戦」
コーディネーター針生承一(建築家 JIA)
パネリスト: NPOさんが俥座メンバー、水野一郎(金沢工業大学 JIA)、八木幾太郎(元今井町町並み保存会町)
Part2 2003年11/22(土) 八木 この町の未来
D:10:00 今井町タウンウォッチング゙
E:12:00 八木町タウンウォッチング゙
F:14:00 まちづくりシンポジウム「八木 この町の未来−JR畝傍駅と札の辻を考える」
○パネリスト:八木札の辻を考える会、市民、建築家、都市計画家 参加無料
会場:橿原市八木地区公民館
主催 JIA((社)日本建築家協会)都市づくり街づくり等推進委員会
共催 JIA近畿支部奈良地域会 後援 奈良県 奈良市 橿原市 NHK奈良放送局
協賛 関西電力 大阪ガス
近年にない大勢の建築家がこの日、橿原市今井町並びに八木の町を訪れ貴重なご意見をくださった。これは八木の町を愛する一住民として参加・視聴した印象記である。
八木札の辻の町並みを考える会&JIAまちづくりシンポジウム('03.11.21,22)


左:札の辻,トレードマークのポストがある
右:札の辻を下ツ道沿いに北上した右側の町家にかかる「八木まちづくりネットワーク」 の真新しい表札(2005年10月発足のNPO法人)
今回、前日の奈良町に因む見学・講演会に引き続き、全国の町並み保存の先駆者として歩んできたノウハウを持つ今井町を見学後、いよいよ八木にと足を延ばしていただいた。右:札の辻を下ツ道沿いに北上した右側の町家にかかる「八木まちづくりネットワーク」 の真新しい表札(2005年10月発足のNPO法人)
前日のシンポジウムの舞台奈良町は行政主導のまちづくりにあらず、住民の生活空間としての基盤を大事にしたまちづくりをしながら、住民主導のまちづくりであったそう。合わせて高口さんが袈裟姿で、いつかは古い物が亡くなっていくことにひとつの悟りを持って、過剰な保存賛否論に傾斜することなく「たしなみ、趣味としてかかわるまちづくり」を推奨なさってくださった。
これは、ほどほどに肩の力を抜いて、ゆっくり、楽しみながらいきなさい、との仰せであり、一石を投じるやさしいお言葉であったと思います。
---
今井町と八木の町
さて、当日、まず午前中は今井町を散策。これほど重文級の民家が揃い、これほど面 として町並みが残されている町はないのでほかにない。整然とした碁盤の目状に通 った通りと大小寺院、国宝民家から長屋まで混在しながら昔ながらの風情、自治、住まい方が息づいている。

左:今井町の歴史的町並みと日常の併存状態(江戸に遡る古い町)
右:井戸の辻から少し北へ向かったあたりの八木町
(明治以降の建物が多く今井よりかなり時代が下る)
何はともあれ富の集積がもたらした町でもあり、保存活動自体にも知恵と資金を感じる現況である。でも今後、重要伝統的建造物群保存地区としてまだまだ問題を克服しつつ歩んでいかねばならない模索の町でもある。右:井戸の辻から少し北へ向かったあたりの八木町
(明治以降の建物が多く今井よりかなり時代が下る)
一方、大和八木は近年「八木札の辻の町並みを考える会」ができ、やっとまちづくりの緒についた幼稚園児のような状態である。これは今井町と違って町を通 る主要な通り(下ッ道と伊勢街道)沿いに線状に連なる数少ない町家群とそのわずかな住民が問題の当事者であることも大きな原因であろう。
多くの町の住民は、通りより中に入った中小の町家や近年築の住宅やアパート・マンション住まいの方が圧倒的である。町の顔として通 り沿いの町家への心理的一体感やアイデンティティは勿論持っているのだが、生活実感が「八木のまちづくり」と整合しないのが、まちづくりのスタート地点にあたっての大きな問題であろう。

JR畝傍駅
この日今井町から蘇武橋を渡り、近代建築の和歌山銀行を見て、畝傍駅へ。この駅はかつて皇族が橿原神宮参拝時の乗降駅で、総檜造りの貴賓室がある。私の父が小さい頃は貨物の操車でにぎわいっていたと聞いており、私の代では愛宕祭りの盆踊りや遠足の乗降でよく利用した記憶がある。現在は無人駅となったこともあり、すっかりさびれた感が強く、周りの旅館や料亭、商店がどんどん閉まっていく現状である。
「八木街道」と記された踏切から見た畝傍駅 :
明治26年(1893年)、「橿原神宮」への最寄り駅(当時大阪鉄道)として誕生。大阪鉄道は、明治40年(1907年)国有化される。現在の「貴賓室」は、紀元2600年にあたる1940年(昭和15年)に、皇族利用のため新設され、1945年には、昭和天皇が畝傍御陵へ参拝の折、利用したが今は閉鎖され、活用が待たれている。駅は1984年より無人駅化。電車が着くと多くの人がこのホームから直接南の道に降りている光景はもう見慣れた風景である。
とにかく残念ながら貴賓室は存外、荒れていて、これを歴史遺産としてどうかといわれれば言葉に詰まる状態であった。あとのシンポジウムでは、畝傍駅を橿原観光の拠点としての案内所、レンタサイクルセンター、図書・資料館、ボランティアセンター、考古学サロン・・・などの利用意見がでて、なるほど、ふ〜んという感じではあったが実感がない。いかに住民が積極的に何かをしない、考えないのかがよくわかったのは半住民の我ながら皮肉なことである。
住民というのは行政主導に乗るのことや何かに反対することは上手だが、現在の生活向上への公に対する意見というのがいかにでないものなのか。なんと受動的な性分なのか。
奈良県立畝傍高校畝傍駅から井戸の辻、八木の町に入って下ッ道を下る。途中生家の長屋を見ながら、旧公務員屋敷を通 り畝傍高校へ。参加者のひとりから、設計者「岩崎平太郎」の情報を得ることができた。近代建築で有名な武田五一の弟子ともいわれ地元奈良に非常に貢献した建築家である。
←旧高級借家(表塀付き二階家2戸一が4連・元は5連か?) 突き当たりが畝傍高校
---------------------- 参 考 ----------------------
第3回JIAまちづくりシンポジウム in 奈良
『この町で生きる−歴史はまちの遺産か足枷か』
Part1 2003年11/21(金) 奈良町の挑戦
A:11:00 近鉄奈良駅からタウンウォッチング
B:14:00-17:00シンポジウム
会場:奈良市ならまちセンター
○基調講演「趣味としての町づくり」: 高口恭行(建築家 JIA、一心寺住職)
○パネルディスカッション「奈良町の挑戦」
コーディネーター針生承一(建築家 JIA)
パネリスト: NPOさんが俥座メンバー、水野一郎(金沢工業大学 JIA)、八木幾太郎(元今井町町並み保存会町)
Part2 2003年11/22(土) 八木 この町の未来
D:10:00 今井町タウンウォッチング゙
E:12:00 八木町タウンウォッチング゙
F:14:00 まちづくりシンポジウム「八木 この町の未来−JR畝傍駅と札の辻を考える」
○パネリスト:八木札の辻を考える会、市民、建築家、都市計画家 参加無料
会場:橿原市八木地区公民館
主催 JIA((社)日本建築家協会)都市づくり街づくり等推進委員会
共催 JIA近畿支部奈良地域会 後援 奈良県 奈良市 橿原市 NHK奈良放送局
協賛 関西電力 大阪ガス
やまと まつり旅―奈良の民俗と芸能
宮本常一 [ちくま日本文学022] (ちくま日本文学 (022))
コミュニティ・レストラン
京都愛宕山と火伏せの祈り
絵図に見る伊勢参り
日本伝統の町―重要伝統的建造物群保存地区62
総覧 登録有形文化財建造物5000
Comments