畝傍高校の設計者のひとり岩﨑平太郎さんを検証した本がいよいよ発刊です。
岩﨑平太郎の仕事: 近代・奈良の建築家
川島智生
2011-12-09
by G-Tools
岩﨑平太郎(1893-1984)は大正期から昭和期にかけて奈良県を中心に建築家で、畝傍高校の実質の設計者とも。明治期に仁和寺・東本願寺の新造営を手掛けた亀岡末吉(1866-1922)に学び、のち京都帝大教授の武田五一(1872-1938)に師事して共に活躍。これまで武田設計とされた諸建築に大いに関わってきたことが遺された図面から判明。本書は現存する岩﨑関連の建築作品を岩﨑による図面・資料とともに紹介して、寺社建築、和風・洋風の建築に通じた知られざる岩﨑の仕事とともに、謎が多かった武田や亀岡の建築活動を岩﨑の仕事から検証します。(amazon書評参照など 111114)
畝傍高校写真部員による「わが街探検~高校生Eyes!」展を開催。
http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/uneko.html2011年11月9日~2011年11月14日
かしはらナビプラザ2階イベントスペース(大和八木駅前すぐ)
・・・残念、いけません。また是非見せて下さい!
・・・文化財で作られた畝高の模型だけ拝見しましたよ。
11/09/13朝日新聞-京阪奈版「週間 まちぶら」にて掲載。
河瀬直美監督の「朱花の月」のロケ地の一つらしい。
また、向かいの勝川さんは現在は市内の小中学校や高校の教科書や参考書を販売中とのこと。
森田校長は「200年、300年と守り伝えたい」とのこと。いいね!110913



畝傍駅から井戸の辻、八木の町に入って下ッ道を下る。途中古い長屋を見ながら、門塀付きのレトロ民家群を通り、突き当たりの畝傍高校へ。設計関係者としては下市町出身の「岩崎平太郎」(M26/1893~S59/1984、当時40才)が揚げられる。近代建築で有名な武田五一(1872〜1938)の弟子ともいわれ地元奈良に非常に貢献した建築家である。
岩崎さんのその他の設計例:上市の吉野鉄道社長阪本家別荘「白雲荘」*、旧吉野鉄道旧久米寺駅-葛駅舎、大和上市駅、吉野神宮駅*、吉野駅舎*、上市北村林業事務所*、天理大学外国語学部校舎*、奈良女子大学佐保会館,
敷島大教会(桜井市S5天理教施設)など多数(*は現存)。
また神戸市の灘区に残る第5代神戸市長・勝田銀次郎邸(大正後期)でも京都帝国大学教授・武田五一博士とともに関係している。地元に貢献した建築家、身近な建物が多いので是非見てきてくださいね。畝傍高校校舎の建築レベルはかなり高い・・・、ことがわかります。
岩崎平太郎については川島智生さんがお詳しいらしい。
奈良県の近代和風建築に関しては、奈文研が詳しい。

洋風の胴体に本瓦葺きのパラペット屋根や塔を模した相輪付きの方形(宝形)屋根が載る。一見左右対称でまさしく「帝冠様式」ともとられがちであるが一方で、京都府・奈良県の重要な木造建築の大修理が続いた当時、そういった伝統建築に関わりよく知る岩崎平太郎が、1923年(大正12年)の関東大震災を受け、耐震耐火のRCによる「東洋趣味を加味した近代式和様」が真実かも知れない。また旧JR奈良駅舎と共通項あり注意を要する。華美でなく、とにかく象徴性の強い建物である。
奈良県では同様なRC造の学校建築は奈良市立小学校鼓阪小学校(奈良市S11)があるという。見に行かなくっちゃ!!!


現在、この貴重な姿をとどめる方法に議論が寄せられている。築77年、少なくとも登録有形文化財として登録が十分可能な、歴史と建築文化的価値を持った建物。
東京のモダニズム建築 第3巻-学校篇- [DVD]
徳弘夏生


畝傍高校校舎の歴史:昭和8年(1933年)、奈良県立「畝傍中学校」として竣工。戦中下、「海軍経理学校」として使われ、戦後、畝傍高等学校となる。
昭和26年11月に人間天皇となった昭和天皇がこの校舎正面に立ち、校庭にあふれるほどの人々に手を振った光景が写真で残っている。畝傍高校が「高市郡奉迎場」となったエピソードである。(「目で見る橿原・高市の100年」より)
戦後まもなくは、この塔正面の壁面に弾痕が残りその爆撃の激しさを物語っていたという「戦争の生き証人」でもある学舎である。(当時は砲撃を避け、他の多くの建物と同様に、目立たぬように校舎丸ごと黒く塗られていた。当夜正面にに掲げられれた菊の紋章が標的になったとも。)
ちなみに正面に上がる金鳶の校章は戦後付けられたもので、戦中軍事下では菊の御紋が附けられていたそうです。(耳成高校との統合でこの校章も今はマイナーチェンジされている)
校長室には今も空の奉安庫が残っていて、ひとくちに高校としてだけは語れない歴史をはらんだ建物です。

2004年、小中高校の統廃合問題は他人事ではないらしく、奈良県立耳成高等学校('83開校)と統合し、新・奈良県立畝傍高等学校となり、制服も、また、校章も微妙に変った(翼の下部に背景なのか、水かきのような円弧が見える。耳成高校の校章は6枚の「いちいがし」の葉を組み合わせものだった )。さて今後この高校はどうやって時代を下っていくのであろうか。子供の頃からここは遊び場で、高校のお兄さんお姉さん方にもかわいがってもらい、思い出一杯のこの校舎には愛着も深い。難しいことをいわぬとも、お願い、これはそっとここにおいといて。

・・・ちなみに、この学校が今後どうなっていくかはわかりませんが、この校舎本館以外の建物がなんだかちぐはぐなのが残念。もうちょっと全体を考えた増改築をしてください。新図書館(創造館)は肩肘張っていて唐突だし、不細工な仮設風建物が無秩序にあちこちに建っていて、校舎本館が建てられた当時の学校建築としての誇りもみじんもない。校長先生はしょっちゅう替わるし、県の営繕課は学校の誇りなど歯牙にもかけない・・・、のか。

同じ時代の建物例
旧朝香宮、京都市美術館 旧「大礼記念京都美術館」、神戸女学院のヴォーリズ建築群、大庄小学校北館(尼崎市S8)
http://www.kazabito.com/yamato_yagi/log/eid128.html
-------------'05.07.28追記:奈良県立高校再編「8校を4校に」-------------
平成15年12月に奈良県議会で「奈良県立高等学校等設置条例の一部を改正する条例」案が可決され、「城内高等学校と郡山高等学校」、「信貴ヶ丘高等学校と上牧高等学校」、「畝傍高等学校と耳成高等学校」、「榛原高等学校と室生高等学校」をそれぞれ統合し、「郡山高等学校」「西和清陵高等学校」「畝傍高等学校」「榛生昇陽高等学校」を設置することに。(平成16年4月1日から施行)
無事、畝傍高校という校名は残ったが、かたや校名を失くした高校を思うと複雑な思いが残る。(畝傍高校内史料館に耳成高校名板がきちんと保存されている、畝傍高校の古い校章も。)

さて、上写真に垣間見える畝高の門脇の守衛室と門前の「勝川書店」について、下記、非常に興味深い情報をいただきました。
−−−−−
畝傍高校の写真(上の白黒写真)ですが、おっしゃるとおり、門前の木造家屋は書店です。「勝川書店」といって、年度初めには教科書をそこで買いました。本を買うとかけてくれるカバーは、全国の大学の校章をちりばめたものでした。この書店もいまは店じまいして、ふつうの民家となっているはずです。

また守衛室(昭和8年竣工当時にはなかった)は、屋根のうえに小さな五輪あしらったものらしき装飾(5つ輪があったかどうかは記憶になし、、、いや、もっとシンプルな突起状の装飾だけだったか。。。)がついた「ミニ帝冠様式」でした。当時すでに守衛詰め所の役割を終えており、体育用具置き場になっていました。その守衛室もすでに取り壊され、いまでは無粋なプレハブ小屋がぽつんと置かれたように記憶しています。(畝傍高校も本館と体育館以外はすかっり様変わりしました。思い出も多いです。せめて本館だけでも保存かつ使用していってほしいものです。)
'051012、U.S.A.T氏より投稿いただきました。ありがとうございました。
皆様からの思い出もお待ちします。
この守衛室は校舎(や講堂)と同じ設計者であったろうか?、
「ミニ相輪」が載っていたとも・・・。改めて資料を探してみる事に。
ちょっとお時間いただきます。
後日談1
:畝傍高校の先輩によると、
畝傍高校は戦時下、【正】海軍経理学校橿原分校(誤り:海軍兵学校)が使用していたそうで、校門や守衛室など、警備施設はその当時のものではとのご意見いただきました。詳細は不明ながら、改めて波乱の歴史をつぶさに感じるお話でした。機会あったら、畝傍高校の歴史をチェックいたします!
後日談2
畝傍高校の在校生によると、勝川書店営業中です!とのことです。
木造校舎の思い出 近畿・中国編―芦沢明子写真集


http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/uneko.html2011年11月9日~2011年11月14日
かしはらナビプラザ2階イベントスペース(大和八木駅前すぐ)
・・・残念、いけません。また是非見せて下さい!
・・・文化財で作られた畝高の模型だけ拝見しましたよ。
11/09/13朝日新聞-京阪奈版「週間 まちぶら」にて掲載。
河瀬直美監督の「朱花の月」のロケ地の一つらしい。
また、向かいの勝川さんは現在は市内の小中学校や高校の教科書や参考書を販売中とのこと。
森田校長は「200年、300年と守り伝えたい」とのこと。いいね!110913

戦前の畝傍高校 ラグビーのH型のゴール


左:中央に畝傍高校。南東背後は天香具山と奥に深く広がる吉野山地
周辺にはすっかり住宅や中高層のマンションが並び立つ
右:「帝冠様式」ではなく「仏教趣味」か?(昭和8年築、岩崎平太郎が設計にかかわる)意匠で判断か、思想で判断か?
周辺にはすっかり住宅や中高層のマンションが並び立つ
右:「帝冠様式」ではなく「仏教趣味」か?(昭和8年築、岩崎平太郎が設計にかかわる)意匠で判断か、思想で判断か?
![]() | 学校施設の耐震補強マニュアル (S造屋内運動場編) 文部科学省 第一法規 2003-08 by G-Tools |
畝傍駅から井戸の辻、八木の町に入って下ッ道を下る。途中古い長屋を見ながら、門塀付きのレトロ民家群を通り、突き当たりの畝傍高校へ。設計関係者としては下市町出身の「岩崎平太郎」(M26/1893~S59/1984、当時40才)が揚げられる。近代建築で有名な武田五一(1872〜1938)の弟子ともいわれ地元奈良に非常に貢献した建築家である。
岩崎さんのその他の設計例:上市の吉野鉄道社長阪本家別荘「白雲荘」*、旧吉野鉄道旧久米寺駅-葛駅舎、大和上市駅、吉野神宮駅*、吉野駅舎*、上市北村林業事務所*、天理大学外国語学部校舎*、奈良女子大学佐保会館,
敷島大教会(桜井市S5天理教施設)など多数(*は現存)。
また神戸市の灘区に残る第5代神戸市長・勝田銀次郎邸(大正後期)でも京都帝国大学教授・武田五一博士とともに関係している。地元に貢献した建築家、身近な建物が多いので是非見てきてくださいね。畝傍高校校舎の建築レベルはかなり高い・・・、ことがわかります。
岩崎平太郎については川島智生さんがお詳しいらしい。
(あかい奈良’03冬、’04奈良まちづくりセンター「大和の建築家・岩崎平太郎とその時代展」資料など参考)
奈良県の近代和風建築に関しては、奈文研が詳しい。
畝傍高校の建物をひもとく必携書の紹介
震災記念堂や明治神宮宝物館に見る時代性がどう畝傍高校につながるか、読んでみてください。
近代和風建築
村松 貞次郎
鹿島出版会 1988-06
by G-Tools
近代和風建築―伝統を超えた世界
初田 亨 飯田 鉄
建築知識 1992-09
by G-Tools


畝傍高校背面(南側)。藤原京に対面している面としてはちょっとそっけない・・・。
洋風の胴体に本瓦葺きのパラペット屋根や塔を模した相輪付きの方形(宝形)屋根が載る。一見左右対称でまさしく「帝冠様式」ともとられがちであるが一方で、京都府・奈良県の重要な木造建築の大修理が続いた当時、そういった伝統建築に関わりよく知る岩崎平太郎が、1923年(大正12年)の関東大震災を受け、耐震耐火のRCによる「東洋趣味を加味した近代式和様」が真実かも知れない。また旧JR奈良駅舎と共通項あり注意を要する。華美でなく、とにかく象徴性の強い建物である。
奈良県では同様なRC造の学校建築は奈良市立小学校鼓阪小学校(奈良市S11)があるという。見に行かなくっちゃ!!!


旧JR奈良駅と水煙・相輪、これは九輪(090918)
大阪鉄道管理局工務課設計、1908年(明治41年)築、RC造2階建
保存運動を経て曳き家保存され、現在は奈良市総合観光案内所、ただし両翼(正しくは片翼、111224訂正)をもがれ残念。部分保存の悲劇、「だるま建築」。
大阪鉄道管理局工務課設計、1908年(明治41年)築、RC造2階建
保存運動を経て曳き家保存され、現在は奈良市総合観光案内所、ただし両翼(正しくは片翼、111224訂正)をもがれ残念。部分保存の悲劇、「だるま建築」。
上記記述についてご指摘いただきました。ありがとうございました。111223
sarukame999さんより。「ブログ記事の中で、JR奈良駅について「両翼をもがれて部分保存のダルマ建築」とあるのですが、もともと片翼(北側でトイレなど)しかなかったのです。南側は透け通しの降車専用改札口になっていました。」
現在、この貴重な姿をとどめる方法に議論が寄せられている。築77年、少なくとも登録有形文化財として登録が十分可能な、歴史と建築文化的価値を持った建物。
東京のモダニズム建築 第3巻-学校篇- [DVD]
徳弘夏生

畝傍高校の建物概要
鉄筋コンクリート造3階建。
中央に寺院風塔屋(本瓦葺、方形造、相輪七輪)と陸屋根の車寄せを持つ。
塔屋両翼棟は縦長の窓を持ち、壁面は下から基壇、中段、上層部と三段の欧風建造物の組み立て・構成を持つ。
陸屋根だが、上部パラペット見附部分は本瓦葺の付け庇となっている。鬼瓦はシルクロードの香り、軒瓦の唐草模様は飛鳥瓦がモチーフとやら(南館塔屋に残る古瓦から藤原宮跡からの出土瓦7Cを模しているようである)。軒丸は複弁蓮花で周囲に連珠・鱗(三角歯のぎざぎざ)、軒瓦は二重ぐるぐる線状唐草(華なし)に上に連珠(○○○)、下に鱗(△△△)。
これらの様式を、昭和8年の竣工式のパンフレットには「東洋趣味ヲ加味セル近代式」と記している。
![]()
帝冠様式とは
洋風ビルの上に、日本国を象徴するかのように日本屋根を冠したデザイン様式のこと。『世界最古の古典式を採用し、其の屋蓋は我が国特有の崇高荘厳なる様式として世界の讃賞しつつある宮殿様式を用い、彼我の長所を併合融和』(下田菊太郎曰く)したものとも、「帝冠併合式」とも、「木に竹をついだ様式」、「ファシズム建築」・・・ともいわれている。本件は仏塔屋根を堂々と冠しているが帝冠様式と呼ぶかは???。
帝冠様式とは、
単に、
現代的なビルに「日本の伝統的な屋根」を載せた意匠?
もう少し狭義に、
西洋建築の躯体に日本の「城郭風の屋根」を載せた意匠?
もしくは、
新古典主義とならぶ「ファシズムを体現する意匠」「軍服を着た建物」なのか?
あえて、
ファシズム建築ではなく、
民衆の和風屋根への愛着が様式の空白期に溢れ出ただけのものか?
はたまた、
大陸に渡った日本人が中国や韓国での近代建築のあり方を見習ったものか?
代表例
九段会館 (旧軍人会館)、東京国立博物館本館 (旧東京帝室博物館)、神奈川県庁、名古屋市役所、愛知県庁、京都市美術館
戦時下日本の建築家―アート・キッチュ・ジャパネスク (朝日選書)
井上 章一
朝日新聞社 1995-07
「日本ファシズム」と建築。あの時代、建築家たちは何をしたのか。時流への迎合、困惑あるいは抵抗…。コンクリート・ビルに和風の瓦屋根をあしらった帝冠様式、忠霊塔、バラック庁舎など、1930年代の建築造形を通して考察する。(「BOOK」データベースより)
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植民地帝国日本の文化統合
駒込 武
岩波書店 1996-03-26
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ある朝鮮総督府警察官僚の回想
坪井 幸生 荒木 信子
草思社 2004-11
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明治の皇室建築―国家が求めた“和風”像 (歴史文化ライブラリー)
小沢 朝江
吉川弘文館 2008-10
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畝傍高校校舎の歴史:昭和8年(1933年)、奈良県立「畝傍中学校」として竣工。戦中下、「海軍経理学校」として使われ、戦後、畝傍高等学校となる。
昭和26年11月に人間天皇となった昭和天皇がこの校舎正面に立ち、校庭にあふれるほどの人々に手を振った光景が写真で残っている。畝傍高校が「高市郡奉迎場」となったエピソードである。(「目で見る橿原・高市の100年」より)
戦後まもなくは、この塔正面の壁面に弾痕が残りその爆撃の激しさを物語っていたという「戦争の生き証人」でもある学舎である。(当時は砲撃を避け、他の多くの建物と同様に、目立たぬように校舎丸ごと黒く塗られていた。当夜正面にに掲げられれた菊の紋章が標的になったとも。)
ちなみに正面に上がる金鳶の校章は戦後付けられたもので、戦中軍事下では菊の御紋が附けられていたそうです。(耳成高校との統合でこの校章も今はマイナーチェンジされている)
校長室には今も空の奉安庫が残っていて、ひとくちに高校としてだけは語れない歴史をはらんだ建物です。
【奉安殿】( ほうあんでん)とは、
第二次大戦中まで、各学校で御真影や教育勅語などを収めていた建物。(御真影とは、天皇・皇后の公式の肖像写真。宮内省から各学校に貸与され、校長の責任で厳重に管理、儀式に使用された。昭和20年(1945)の終戦時までの用語。)
肖像と聞くと、北朝鮮の金正日像や中国の毛沢東像とかとイメージかぶさる。
100609のニュースから
奈良県が行った県立高校の耐震診断で、畝傍高校本館が、耐震補強の必要ない「A1」と判定された。教室として利用されている県立高校の建物では最も古いながら、当時の耐震設計力が裏付けられた。

藤原京・耳成山と畝傍高校の位置
2004年、小中高校の統廃合問題は他人事ではないらしく、奈良県立耳成高等学校('83開校)と統合し、新・奈良県立畝傍高等学校となり、制服も、また、校章も微妙に変った(翼の下部に背景なのか、水かきのような円弧が見える。耳成高校の校章は6枚の「いちいがし」の葉を組み合わせものだった )。さて今後この高校はどうやって時代を下っていくのであろうか。子供の頃からここは遊び場で、高校のお兄さんお姉さん方にもかわいがってもらい、思い出一杯のこの校舎には愛着も深い。難しいことをいわぬとも、お願い、これはそっとここにおいといて。

畝傍高校校章ビフォー&アフター
・・・ちなみに、この学校が今後どうなっていくかはわかりませんが、この校舎本館以外の建物がなんだかちぐはぐなのが残念。もうちょっと全体を考えた増改築をしてください。新図書館(創造館)は肩肘張っていて唐突だし、不細工な仮設風建物が無秩序にあちこちに建っていて、校舎本館が建てられた当時の学校建築としての誇りもみじんもない。校長先生はしょっちゅう替わるし、県の営繕課は学校の誇りなど歯牙にもかけない・・・、のか。

左:玄関車寄せの短い親柱の半球。姿よく好ましい形
右:正面玄関の入り口周りのディテール「和」か「洋」か?
右:正面玄関の入り口周りのディテール「和」か「洋」か?
同じ時代の建物例
旧朝香宮、京都市美術館 旧「大礼記念京都美術館」、神戸女学院のヴォーリズ建築群、大庄小学校北館(尼崎市S8)
http://www.kazabito.com/yamato_yagi/log/eid128.html
-------------'05.07.28追記:奈良県立高校再編「8校を4校に」-------------
平成15年12月に奈良県議会で「奈良県立高等学校等設置条例の一部を改正する条例」案が可決され、「城内高等学校と郡山高等学校」、「信貴ヶ丘高等学校と上牧高等学校」、「畝傍高等学校と耳成高等学校」、「榛原高等学校と室生高等学校」をそれぞれ統合し、「郡山高等学校」「西和清陵高等学校」「畝傍高等学校」「榛生昇陽高等学校」を設置することに。(平成16年4月1日から施行)
無事、畝傍高校という校名は残ったが、かたや校名を失くした高校を思うと複雑な思いが残る。(畝傍高校内史料館に耳成高校名板がきちんと保存されている、畝傍高校の古い校章も。)
http://homepage3.nifty.com/miminashi/togo/togo_index.html

1962年ごろの畝高の門あたり 守衛室や門前の木造家屋(確か本屋さん?)がわかる
さて、上写真に垣間見える畝高の門脇の守衛室と門前の「勝川書店」について、下記、非常に興味深い情報をいただきました。
−−−−−
畝傍高校の写真(上の白黒写真)ですが、おっしゃるとおり、門前の木造家屋は書店です。「勝川書店」といって、年度初めには教科書をそこで買いました。本を買うとかけてくれるカバーは、全国の大学の校章をちりばめたものでした。この書店もいまは店じまいして、ふつうの民家となっているはずです。

2009年の様子(畝傍高校校門と盛り上がる生徒達)
昔この右手の楠の下には日本の戦闘機がおいてあったそうです。
昔この右手の楠の下には日本の戦闘機がおいてあったそうです。
また守衛室(昭和8年竣工当時にはなかった)は、屋根のうえに小さな五輪あしらったものらしき装飾(5つ輪があったかどうかは記憶になし、、、いや、もっとシンプルな突起状の装飾だけだったか。。。)がついた「ミニ帝冠様式」でした。当時すでに守衛詰め所の役割を終えており、体育用具置き場になっていました。その守衛室もすでに取り壊され、いまでは無粋なプレハブ小屋がぽつんと置かれたように記憶しています。(畝傍高校も本館と体育館以外はすかっり様変わりしました。思い出も多いです。せめて本館だけでも保存かつ使用していってほしいものです。)
'051012、U.S.A.T氏より投稿いただきました。ありがとうございました。
皆様からの思い出もお待ちします。
この守衛室は校舎(や講堂)と同じ設計者であったろうか?、
「ミニ相輪」が載っていたとも・・・。改めて資料を探してみる事に。
ちょっとお時間いただきます。
後日談1
:畝傍高校の先輩によると、
畝傍高校は戦時下、【正】海軍経理学校橿原分校(誤り:海軍兵学校)が使用していたそうで、校門や守衛室など、警備施設はその当時のものではとのご意見いただきました。詳細は不明ながら、改めて波乱の歴史をつぶさに感じるお話でした。機会あったら、畝傍高校の歴史をチェックいたします!
後日談2
畝傍高校の在校生によると、勝川書店営業中です!とのことです。
木造校舎の思い出 近畿・中国編―芦沢明子写真集

文化庁公式HP(文化財データベース)から、
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「帝冠様式」という表現を使っている建造物
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●神奈川県庁本庁舎 昭和3 登録文化財
解説文: 外観の全体構成はクラシックであるが,細部は幾何学的な独自の意匠が用いられ,後の帝冠様式の先駆けである。設計は小尾嘉郎で,公募による。施工は大林組。スクラッチタイル貼りの外壁と中央の高塔が特徴的で,「キング」の愛称で親しまれている。
●名古屋市役所本庁舎 昭和8 登録文化財
解説文:設計競技における平林金吾当選案を基に名古屋市建築課が,帝冠様式のはしりとされる神奈川県庁舎のスタッフを招聘して実施にあたる。塔の屋根は名古屋城を意識したもので,頂部に四方睨みの鯱を載せる。愛知県庁舎の造形に影響を与えたことでも知られる。
名古屋市役所庁舎(平林金吾、1933)
●荒川家住宅主屋 昭和8 登録文化財 茨城県
解説文: 下館の中心街である田町の国道沿いに南面して建つ荒七酒店の住宅部。木造3階建、モルタル塗のアール・デコ調の洋館であるが、3階の屋根は宝形屋根とし帝冠様式的雰囲気をも感じさせる特異な外観意匠をもつ。通りのランドマークにもなっている。
●徳川美術館本館 昭和10 登録文化財
解説文: 設計協議の1等案をもとに吉本与志雄が実施設計を行った。施工は竹中工務店。外観の意匠は城壁を思わす外壁を巡らし、屋根は緑色釉薬瓦葺とし鯱を置く。全体としていわゆる帝冠様式のデザインをもつ建物で、尾張徳川家の所蔵品を展示する。
●愛知県庁本庁舎 昭和13 登録文化財
解説文:名古屋城と,隣接する名古屋市庁舎に呼応して「日本固有の様式を強調するに努め」とされる。西村好時と渡辺仁による基本設計を基に愛知県営繕課が実施設計にあたる。西洋建築の躯体に和風の屋根を架した,いわゆる帝冠様式の代表的建築として知られる。
愛知県庁舎(西村好時・渡辺仁、1938)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「帝冠様式」という表現を使っていない建造物
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●旧東京帝室博物館本館 昭和12 重要文化財
解説文:旧東京帝室博物館本館は,前身の本館が関東大震災で被害を受けたことにより復興が図られ,昭和10年4月1日に上棟,昭和12年11月6日に竣工した。
設計は「東京帝室博物館建築設計図案懸賞募集」の一等当選案(渡辺仁案)を原案とし,宮内省内匠寮が実施にあたった。
平面は中庭をふたつ設けた日の字型平面で,正面中央前方に車寄を張り出す。鉄骨鉄筋コンクリート造で,規模は建築面積約6600平方メートル,地上2階,地下2階である。
和風を基調とした大建築で,意匠的に完成度が高く,昭和初期の日本の近代建築の到達点を示す作品のひとつとして高い価値がある。
また,博物館建築としての採光,空気調和等の設備面において,当時最新の技術水準が示されている点にも歴史的意義が認められる。
●静岡県庁本館 昭和12 登録文化財
解説文: 昭和9年の懸賞設計当選案(泰井武案)に基づき,大村巳代治ら県営繕の実施設計により竣工。日の字型平面をとる官庁建築で,正面中央の宝形屋根やパラペット立ち上がり部を本瓦葺風にみせるなど当時流行した日本趣味の造型が採り入れられている。
●弥栄会館【やさかかいかん】 昭和11 登録文化財 (京都市)
解説文: 鉄骨鉄筋コンクリート造,地上5階地下1階建で,南面して建つ。各階に銅板瓦葺屋根をかけ,塔屋状の正面中央部は付庇や宝形造屋根が城郭の天守を思わせる造形で,和風意匠の伝統を巧みに織り込んでいる。設計は劇場建築を手がけた木村得三郎,施工は大林組。
![]()
●愛媛県教育会館 昭和12 登録文化財
解説文: 木造3階建で,事務室,会議室,図書室などを設ける。洋風意匠を基調とし和風装飾を組み合わせる昭和前期に特徴的な意匠を持つ。外観は垂直性をやや強調し,玄関上部には和風意匠の直截な引用が見られる。設計は県建築技師の浅香了輔。
やまと まつり旅―奈良の民俗と芸能
宮本常一 [ちくま日本文学022] (ちくま日本文学 (022))
コミュニティ・レストラン
京都愛宕山と火伏せの祈り
絵図に見る伊勢参り
日本伝統の町―重要伝統的建造物群保存地区62
総覧 登録有形文化財建造物5000








Comments
今や、勝川書店に一般書籍は売っていません。教科書と学校指定のサイド本のみの販売です。電子辞書も買えたりします。
私が在学していた頃には、NHK朝ドラのロケ地になったりもしていました。運動会の撮影のときには、校庭フェンスに紅白の幕を張って耳成山以外の背景をカットしてありました。子供ごころにプロはうまいこと考えはるなあと感心しました。
今はもうダメです。学校南側にマンションがそびえたってしまって、幕では隠せなくなりました。そして音を気遣って運動会も学校ではやりにくくなりました。
弾痕の話は在校当時に先生からきかされました。校舎北側の軒下にある、本来なら金属棒がはまっていた石柱は、供出のなごりだと教えられました。(この石柱は今は撤去されています)
丸瓦の本葺き屋根に相輪とあわせて、寺社のような姿が気に入っていました。一階の石張り床も好きです。H字型の構造が、耐震建築なのだとも教えていただきました。
学校に近所にお茶の工場がありました。4時限目で空腹絶頂のお腹に、ほうじ茶の炒る香りが悶絶しそうにしみ込んできたことを思い出しました。
1回書き込み?何度かサイトクラッシュがあったので、失礼したかもしれません。すみません。
さて畝傍高校の写真提供ということ、うれしいコメント、ありがとうございます。写真部?
右肩の「リンク」から「問い合わせフォーム」に入って今一度コンタクトいただくか、650枚もあるのならブログなど別サイトを組んでいただき、リンクさせていただくのもいいかもしれませんね。(ただし、教育機関ですので当然配慮いりますが・・・。)
どんなふうに紹介できるか楽しみです。
う~ん一回書き込んだような書き込んでないような気がしますが・・・
部活に入っている時にいろいろと校舎の写真を撮ったのがあるんですが。さっき数えてみたら650枚ほど
なにかほしいものがあれば、そういう写真があれば提供させてほしいです。
よろしくお願いします。