「神武天皇陵 捏造説」と墓の再利用について
神武天皇陵は鳥居に扉が付く構成のエントランスを持ち、なんとも威厳を感じるがこれがフェイクとは!
元は「四条ミサイザイ古墳」神武天皇陵は、文久3年(1863年)に畝傍山の北東の「四条ミサイザイ古墳」を初代天皇である神武天皇の陵墓と決定され、今も宮内庁がそう指定している。

元は「四条ミサイザイ古墳」神武天皇陵は、文久3年(1863年)に畝傍山の北東の「四条ミサイザイ古墳」を初代天皇である神武天皇の陵墓と決定され、今も宮内庁がそう指定している。
とあるが、このたびの日本史研究会で今尾文昭氏(奈良県立橿原考古学研究所)が神武陵7世紀創出説を示したそうだ。(050819朝日新聞)
神武天皇陵は深い杜に囲まれその全貌がわかりにくいが、もともとは古墳群の一部で、藤原京時代(694~710)にその多くが削られた中、残っていた丘(古墳)が初代神武天皇、第二代?靖天皇に改修されて祀られているらしい。要するにもともと両天皇の陵墓としてあったものではなく、また、その両天皇の存在すら伝説では?というなげかけである。
第40代天武天皇
これは第40代天武天皇(672-686)が壬申の乱(672)のとき、神武陵に馬と武器を奉納して戦勝祈願し、天皇となった暁には藤原京を作りその都と自らを守る先祖として40代も遡る初代天皇をこの地に祀り上げ、威厳を補強したのではとの説である。この時代には、大和一円にある古墳の数々が歴代天皇陵墓と化す。名も知れぬ古代の人々の墓をヤドカリが如く居抜きで天皇陵として再利用した見事な「リサイクル墓」の出現である。

丸谷家土間天井見上げと外観
橿原神宮、神武天皇陵整備の際に消滅した「洞村」から移築(1920)され、現在「おおくぼ町づくり館」(奈良県橿原市大久保町40-59)として保存されている(見学可能)
神武天皇陵は深い杜に囲まれその全貌がわかりにくいが、もともとは古墳群の一部で、藤原京時代(694~710)にその多くが削られた中、残っていた丘(古墳)が初代神武天皇、第二代?靖天皇に改修されて祀られているらしい。要するにもともと両天皇の陵墓としてあったものではなく、また、その両天皇の存在すら伝説では?というなげかけである。
第40代天武天皇
これは第40代天武天皇(672-686)が壬申の乱(672)のとき、神武陵に馬と武器を奉納して戦勝祈願し、天皇となった暁には藤原京を作りその都と自らを守る先祖として40代も遡る初代天皇をこの地に祀り上げ、威厳を補強したのではとの説である。この時代には、大和一円にある古墳の数々が歴代天皇陵墓と化す。名も知れぬ古代の人々の墓をヤドカリが如く居抜きで天皇陵として再利用した見事な「リサイクル墓」の出現である。


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