
江戸時代の旅籠「木原屋」の光景 これも 活気あふれる活用案?(出演は名所図絵の皆さん)
当時は1階は接客と家人の住まい、2階が大小6室の客室があったそうです。2階便所や1階かまどの煙道も残っていました。もちろん1階土間にも立派な井戸も。
見学会では、あいにく改修後の活用については語られなかったようで、残念。次の見学会をまた楽しみにしています!
改修工事の内容
雨漏りの修繕(瓦の全葺き替え)、腐朽した柱梁の取替え、傾斜の復旧、道路面が昔より上がっていたためしっかりした基礎を敷設し、かつ建物地盤を30cmかさ上げした。
また、安全に使えるように耐震補強のため丈夫な壁を少し増やしたそうです。このあたりは地盤があまりよくないそうですが、これで安心して、みんなで使えますね。

11月6日橿原市主催見学会は終了、今回は11月19日午後 日本文化のクロスロードまち歩き↓開催に合わせて、旧平田家見学会の開催。増井正哉教授(奈良女子大学)による講演と町歩きの折に、橿原市文化財課より、その歴史や魅力、改修の内容などをご説明されたようです。
詳しくは、日本風景街道「日本文化のクロスロードまち歩き」>>http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_itemid-72657.htm#moduleid30195
※総勢50名余りが三班に分けて豪雨の中のまち歩き、関心の高さが感じられました。

南北八木の取り決め天明3年(1783)の為取替札之事 橿原市教育委員会「芭蕉と八木の宿」より
11月6日橿原市主催 橿原市指定文化財「東の平田家(旧旅籠)」改修工事現場見学会>>http://www.city.kashihara.nara.jp/bunkazai/23hiratakekengakukai.html
『「東の平田家(旧旅籠)」は中街道と伊勢街道の交差点の北東角に建ち、江戸時代には旅籠(旅館)を営んでいた建物、、、、普段は見ることができない文化財建造物の改修現場見学できますので、この機会にぜひお越しください。』(文化財課)
橿原市指定文化財 東の平田家(旧旅籠)>>http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/spot/higashino_hiratake.html
| まち祇園祭すまい―都市祭礼の現代 谷 直樹 増井 正哉 思文閣出版 1994-07 by G-Tools |

またその下はやはり細かいメッシュ(布)のスカートのようです。
夜には大きな行灯のように見えるのでしょうか?
雨を避けながら屋根葺きや内部の造作工事が進められ、11月にはいよいよ見学会、工事終了は年度末の予定です。

北側には床の間部分が増床され、中でも新しい床組が金物をたくさん使ってされています。昔の木組みの痕もよくわかりますね。110830
![]() | 文化財建造物の保存と修理の歩み 日本の美術 第525号 (525) 村上 じん一 ぎょうせい 2010-01-12 by G-Tools |
文化財建造物の修理について
文化財講座「日本の建築5」(昭和51年、第一法規)の中で当時の文建協理事の日名子元雄氏が語っていることを参考にしました。
文化財修理は、対象物の歴史的または芸術的価値を損なわないことが最大の要件。
文化財保存に当たっては、現状を変更するとは原則的に禁じられるべきこと。そうの意味では修理自体がひとつの現状変更を余儀なくされる。通常「修理」自体は許可対象とはならないが、復原修理は当然、現状変更の許可対象であるそうです。
民家たる建造物は記念碑的なものではないので、生活の器として自ずと過去に修理・改修の経過があってあたりまえ、住宅の復原は非常にむずかしいようです。
文化財の復原・修理に当たって、復原したために修理前と修理後で大きくその姿を変えた事例もあり、また逆に復原すべき姿が見えながら姿を変えない(復原しない)事例もあるように、その建造物の改変の歴史を一定の方式で完璧に決めらることは難しいみたいです。(どの時代・時期に復原するかは大問題)
が、その判断の基礎となるのが修理工事における建物の技術的資料でしょう。いかに正確な資料を整え、シビアな調査研究(実測図や写真、専門家の意見)により、実証範囲に沿い、わからない部分には推論も交えて「形」にし(修理、復原、補強)、かつ、その論拠を明確に残さなくてはならない仕事をしなくてはいけないそうです。文化財の「修理工事報告書」がその一分であり公開資料としては必須のものである、う~ん。
こうした記録は、のちの新しい技術により、今般より正確な復原が可能になる場合もあるからで、文化財的価値が見直されることもあるから。(X線や赤外線による調査など調査方法もどんどん進展しているようですね。)
旧平田家のような市の指定文化財の修理・復原工事は、一定の証拠と推定、また活用のための新しい付加要素(電気や空調、バリアフリーや新しい機材・設備、耐震性能)をうまく結びつけて、結果広く市民に「歴史遺産をきちんと届け」、親しんでもらうことが目的のひとつであるが、次の世代にも調査研究の可能性を残さなくてはならない宿命を背負っているんですね~。
「いい加減な修理は未来に大きな禍根を残すことは、多くの文化財修理に携わる人々が肝に銘じているはず」のことである、とは某文化財関係者の御意見。
予算という大きな壁、人材、近隣の問題、そして子供達の想い、まちの古老の夢・・・すべてを乗せて、完工を楽しみにしています。110924
![]() | 図解 木造住宅の耐震補強 耐震補強研究会 オーム社 2009-07 by G-Tools |

| 文化財講座日本の建築〈5〉近世 2・近代 (1976年) 伊藤 延男 太田 博太郎 関野 克 第一法規出版 1976 by G-Tools |
昔は、敷地の境界線を飛び越えた軒の出をとやかく言わなかったのが、今はほんの少しの越境にも神経を使います。大変ですね。また、ながい時代の流れと共に様変わりしていく建物の形の変化の「何をもって復原」と考えるか難しい・・・、ですよね。


工事現場の掲示板には、ようやく説明文が張り出されました。「八木の観光拠点」にするのだそうです。観光案内所でしょうか?




周辺住民さんも何も知らされていないようで、廻りには期待と不安が渦巻いています。「壊してしまうの、いや資料館?観光案内所?喫茶店ぐらいできるの・・・・。」説明会でもしていただけるといいですね。楽しみに待ちましょう。




いよいよ着工したみたいです。札の辻に活気が・・・。車が行き交うので、どうぞ気を付けてください!110412
南都経済センター2011年3月号「地域情報」によると、橿原市はこの建物を『地域活性化の拠点』になるよう改修工事をおこなうと伝えています。もちろん、地元向け、そういった説明会も開かれることと思います。とても楽しみです。110318
改修工事は古市工務店さんが約8,100万円(税込)で落札。八木国分寺の庫裏工事もされていておなじみですね。どうぞ「御安全に!」よいお仕事を、よろしくお願いいたします。110311
旧平田家の詳細はこちらの本にでています。『八木の歴史と文化』>>

八木地区では初めての文化財(建造物)です。
だいぶ傷んでいますし、近年の改修も甚だしいため、近く安全にお披露目するために工事にかかります。
(工事費の設計金額 9600万円、11.3.9開札、事後審査型条件付き一般競争入札)
![]() | 伝統建築と日本人の知恵 安井 清 草思社 2007-04-07 by G-Tools |
![]() | 談合を防止する自治体の入札改革 鈴木 満 学陽書房 2008-08 by G-Tools |
八木札の辻の北東角の旅籠建築を西国三十三カ所名所図絵「札の辻」の段よりクローズアップして着彩してみました。

名所図絵の部分 札の辻の旅籠の昔の姿
![]() | 文化の見えるまち―自治体の文化戦略 森 啓 公人の友社 2009-09 by G-Tools |
中のミセの間では赤ちゃんがハイハイし、店先では魚商らしき姿、また井戸端では犬が元気よく飛び跳ねています。八木の町、札の辻の活気が満ちています。

もし札の辻の旅籠がよみがえったら(大阪歴史博物館の模型より)
最近は人気がなく、町のみんなが少し寂しい思いをしています。建物の傷みも気になり、早く昔のような元気な札の辻がよみがえるよう楽しみにしています。

札の辻の旅籠「亀の鬼瓦」かわいそうに頭がもげています。この上には兎の瓦もあり「うさぎと亀」です。

110429猿沢の池の亀

1985年の札の辻の旅籠を伊勢街道西側から見る
今も残る旅籠建築の例
小野家住宅(塩尻宿の旅籠『いちょう屋』重文
・・・小野家は江戸時代「いてうや(銀杏屋)」の屋号で旅籠屋を営んでいた。
建物は塩尻宿を通る中山道が塩尻峠に向かって上りかかる所に建つ。間口は八間、切妻造、平入、二階建の背面に棟を直角に平屋がつづく。内部は、二階の客室に、鶴、松などを建具や壁に描き、絵から部屋の名を付ける。なかでも「桜の間」は天井にまで極彩色の桜を描き、当時の宿場の風潮の一端を如実に示していて面白い。
幕末における宿場の雰囲気を示す好例である。(江戸末期・文化庁DBより)
中山道細久手宿『大黒屋』登録文化財
・・・旧中山道に南面して建つ。桁行7間,梁間9間規模,木造2階建,切妻造,桟瓦葺で,正面に軒庇が付く。屋根は両妻に卯建を上げる。正面外壁は腰下見板張の上を黒漆喰塗とする。明治維新以前は問屋及び尾州家定本陣であり,宿場の景観を伝える。(江戸末期・文化庁DBより)
枚方宿鍵屋資料館(江戸後期・枚方市指定文化財)
・・・「もてなし文化」の継承拠点 NPOが指定管理団体
藤枝市 岡部宿 大旅籠 柏屋
・・・170余年の時を越え、現在に蘇った大旅籠柏屋に夢を馳せ、しばし江戸の宿場文化を体験
静岡県 新居宿 旅籠 紀伊国屋資料館
・・・新居町指定文化財
各務原市 中山道 鵜沼宿町屋館
・・・中山道鵜沼宿のほぼ中央に位置し、修復工事を経て平成20年より公開、各務原市指定文化財・景観重要建造物
![]() | やまと まつり旅-奈良の民俗と芸能 鹿谷 勲 やまと崑崙企画 2001-10 by G-Tools |
| 町屋と町並み (日本史リブレット) | |
![]() | 伊藤 毅 Amazonで詳しく見るby G-Tools |
近隣の旅籠建築
大和郡山花内屋

榛原旧旅籠「あぶらや」

(110329旧旅籠「あぶらや」保存修理工事 松塚建設㈱落札 111222竣工予定)
東の平田家(八木札の辻の旧旅籠、旧平田家、橿原市指定文化財)
橿原市HP参照の上、要約
http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_bunkazai/bunkazai/spot/higashino_hiratake.html
■建築年代 18世紀後半~19世紀前半(江戸後期)
■構造形式
・主屋(しゅおく・下ツ道面):木造2階建、桁行14.55m、梁間9.63m
南側入母屋造、北側切妻造、西側本瓦葺、東側桟瓦葺
・角屋(つのや・東部分、横大路=伊勢街道面、主屋と一体):木造2階建、桁行6.00m、梁間9.64m、主屋東南部に接続
東側切妻造、南側本瓦葺、北側桟瓦葺、東、西、南、北側庇桟瓦葺
■建築概要
平田家は古代大和の主要道路「下ツ道」と「横大路」との交差点である「八木札の辻」を挟んで西側の平田家、東側の「平田家」が向かい合って立地。いずれも江戸時代後期の旅籠の遺構。
江戸時代中期以降「八木の札の辻」界隈は、伊勢参りや大峯への参詣巡礼などで、特に賑わったという。平田家に保存されている古文書『大坂浪速講伊勢道中記御定宿附』(江戸後期)は大阪から伊勢に至る約60軒の旅籠を記した当時のガイドブックで、平田家は、『八木 木原屋(きはらや)嘉右衛門』として紹介されている名宿のひとつ。
また『西国三十三所名所図会』(1853年(嘉永6)の『八木札街』にも表現されている。2階に手摺りが回されているがそれが今も残りその当時の面影をよく残している。
棟札などの直接的な根拠はないものの、古文書、構造手法、鬼瓦の箆書(へらがき)などを時代根拠としている。(背割りなどの大工技術も検証)
東の平田家の主屋は札の辻の東北角に建ち、東南側の「横大路」に面して角屋が付属し、その北側に坪庭がある。1階の庇はかつて出桁造だったが、後に柱を抜き、持送りで軒を支えていた。2階軒も出桁造。
主屋は南側に土間をとった2列6室型。北側に並ぶ2室には奥行きの浅い床の間などが付く。東側筋の2列目に大階段が現存するのは旅籠らしい。
主に2階部分が客室で、西側筋に4室、東側筋に2室と階段を含んだ板間があり、西側と南側の街道筋には欄干がめぐる。
2階部分は旧状をよくとどめ、北側筋の2室には、1階と同様、床の間などが残るが時代根拠は不明。
小屋梁は、平均で25.0~30.0cmの直径の杉の丸太、長さ約8.0mの長尺。主屋2階西側、南側は軒の出が大きいため、出桁から桔木(はねぎ)を用いて11箇所をテコの原理で軒先が下がらないように吊り上げている。屋根も数度葺替えられ、古くは全体に本瓦葺と考えられる。(大棟南側の鬼瓦の東肩に「天保七申六月作」(1836年)の箆書)
(南面の軒先は少なくとも1983年当時一直線に揃っていたことがわかっている。)
'08NPO法人八木まちづくりネットワークによる建物やまつわる背景の調査、'09には同団体がこの旧平田家の地域における役割を周辺住民にヒアリングするなどして保存・活用提案を市業務として受託し市に報告している。
やまと まつり旅―奈良の民俗と芸能
宮本常一 [ちくま日本文学022] (ちくま日本文学 (022))
コミュニティ・レストラン
京都愛宕山と火伏せの祈り
絵図に見る伊勢参り
日本伝統の町―重要伝統的建造物群保存地区62
総覧 登録有形文化財建造物5000









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ご連絡ありがとうございました。
お気を悪くなされたようで申し訳ございません。
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できる限り対処申し上げます。
よろしくお願いいたします。
断りもなしにつかわれるって
これ 個人情報の侵害に当たりませんか?