その家はH家の借家で、間口が3間、奥行きが4間の2階建の長屋でした。通り庭が奥まで続き、奥庭には隣家と共用の井戸があって、板塀を堺に両側から井筒を使っていました。路地の向かいにはドレメ洋裁学院があり、また畝傍高校に通う学生さんでも賑わう活気あふれる界隈でした。そんな八木に嫁入りしたのは23歳のとき、今から50年余り前のこと、昭和30年過ぎのことでした。
私の生家は百姓やでした。父が末っ子の私は農家に嫁がせたくないとの親心篤く、当時大阪で事業を始めた八木の人を見合い相手に選んでくれたようでした。
お見合いの場所は私が働いていた乳牛屋さんのお茶室でした。和裁を手に付けて後、行儀見習いを兼ねてのお手伝いをしていて、お茶やお花をそれはそれは楽しく習わせてもらっていた当時、自分で見合いの折りの着物も縫い、その日を迎えました。一生懸命お点前をしたことぐらいしか覚えていませんが、主人は長姉とともに訪れ、帰りには父が聞き合わせを兼ねて一緒に八木に向かったことを覚えています。そう、その見合いはうまく運んだのでした。
見合いの後、数度会っただけで約半年後の11月3日に実家の吉野から花嫁姿、車で八木へ入りました。主人の家の2階が披露宴会場でした。舅、姑はいませんでしたが、主人の弟妹が三人いる家庭に入ったのでした。
嫁いで数年で三人の義弟妹に結婚させるという大忙しの新婚時代を経て、長男を授かり、ひとつの家庭ができたような気がしました。あれよあれよの八木での数年が過ぎましたが、同じ長屋の隣人や通り界隈の方々を初め、八木の人々との楽しかった近所づきあいは何よりも楽しいものでした。
自分もそうですが、遙か十津川やはたまた、九州や東北などあちこちからこの八木には嫁いできた奥さん方がおられましたので、自分はそう遠くに嫁いだ気はしませんでしたし、父母も時折、畝傍駅経由で旅行などに出る折りなど八木の家に立ち寄ってくれたものでした。
当時国鉄や近鉄、国道が走って八木界隈はとても「町」でしたから、そういった賑わいの中でいい人付き合いができたことが今でも大事な財産です。子供たちの成長で学校関係のおつきあいも広がり、八木の賑わいは自分の家庭の広がりと同じように明るい感じがしました。
八木は便利で商家も多かったのです。歩いてすぐのところで、大概の用事は済みました。天ぷらの日はその日の分だけ油も買いに行きました。醤油は今井へ買いに行きました。祝い事のときは近所の仕出し屋さん、酒屋はもちろん米屋さんなどとは通い帳での掛け売り取引でした。洋服は近所で布地を買ってこれまた近所の仕立屋さんに頼みに行きます。時折、高田の百貨店へ国鉄で行くのはよそ行きで、気持ちがわくわくする「おでかけ」でした。
忙しい主人の仕事の合間に家族総出で外食に出るのは八木西口の近くの洋食屋さんで、これも楽しい「お出かけ」のひとつでした。そのころはまだまだ日常に着物と前掛けが定番で、髪もアップに結い上げ、今思うと古風な生活だったと思います。
続く>>
私の生家は百姓やでした。父が末っ子の私は農家に嫁がせたくないとの親心篤く、当時大阪で事業を始めた八木の人を見合い相手に選んでくれたようでした。
お見合いの場所は私が働いていた乳牛屋さんのお茶室でした。和裁を手に付けて後、行儀見習いを兼ねてのお手伝いをしていて、お茶やお花をそれはそれは楽しく習わせてもらっていた当時、自分で見合いの折りの着物も縫い、その日を迎えました。一生懸命お点前をしたことぐらいしか覚えていませんが、主人は長姉とともに訪れ、帰りには父が聞き合わせを兼ねて一緒に八木に向かったことを覚えています。そう、その見合いはうまく運んだのでした。
見合いの後、数度会っただけで約半年後の11月3日に実家の吉野から花嫁姿、車で八木へ入りました。主人の家の2階が披露宴会場でした。舅、姑はいませんでしたが、主人の弟妹が三人いる家庭に入ったのでした。
嫁いで数年で三人の義弟妹に結婚させるという大忙しの新婚時代を経て、長男を授かり、ひとつの家庭ができたような気がしました。あれよあれよの八木での数年が過ぎましたが、同じ長屋の隣人や通り界隈の方々を初め、八木の人々との楽しかった近所づきあいは何よりも楽しいものでした。
自分もそうですが、遙か十津川やはたまた、九州や東北などあちこちからこの八木には嫁いできた奥さん方がおられましたので、自分はそう遠くに嫁いだ気はしませんでしたし、父母も時折、畝傍駅経由で旅行などに出る折りなど八木の家に立ち寄ってくれたものでした。
当時国鉄や近鉄、国道が走って八木界隈はとても「町」でしたから、そういった賑わいの中でいい人付き合いができたことが今でも大事な財産です。子供たちの成長で学校関係のおつきあいも広がり、八木の賑わいは自分の家庭の広がりと同じように明るい感じがしました。
八木は便利で商家も多かったのです。歩いてすぐのところで、大概の用事は済みました。天ぷらの日はその日の分だけ油も買いに行きました。醤油は今井へ買いに行きました。祝い事のときは近所の仕出し屋さん、酒屋はもちろん米屋さんなどとは通い帳での掛け売り取引でした。洋服は近所で布地を買ってこれまた近所の仕立屋さんに頼みに行きます。時折、高田の百貨店へ国鉄で行くのはよそ行きで、気持ちがわくわくする「おでかけ」でした。
忙しい主人の仕事の合間に家族総出で外食に出るのは八木西口の近くの洋食屋さんで、これも楽しい「お出かけ」のひとつでした。そのころはまだまだ日常に着物と前掛けが定番で、髪もアップに結い上げ、今思うと古風な生活だったと思います。
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