木造住宅の耐震改修(奈良・精密診断)

090520大和の古民家 土天(置土)のツシ2階

H30年度耐震改修補助 橿原市>>https://www.city.kashihara.nara.jp/kshido/c_toshikeikaku/bousai/taishinkaishu.html

奈良の木造住宅の特徴

この度、築55年の在来構法の木造住宅の耐震診断をしました。市の耐震改修の補助金を使って耐震精密診断をおこない、引き続き耐震改修の計画中です。

建物の特徴は、コンクリート基礎(無筋と思われる)に土壁をつけた桟瓦葺きの二階建て、外壁は木ずりモルタル塗りです。奈良県の市街地や郊外でよくみかける部分二階の建物といえばご想像がつくと思います。時代柄、赤い釉薬のかかった桟瓦を土葺きにし、玄関ポーチには「青緑【せいろく】瓦」のスパニッシュ瓦が載っているのも時代性のあらわれです、

プランは一階は中廊下型で南側に和室の続き間があり、玄関近くに応接間を配しています。奈良盆地に多い立派な瓦葺き入母屋民家よりは簡素で、サラリーマン夢の一戸建てといった感じの家です。

戦後10年以上たって景気の右肩上がりの時代、奈良県にも団地開発が進む頃、それまでの伝統的な住宅からの脱却とあこがれのダイニングキッチンと応接間が庶民にも身近になってきたころにあたります。そうです、井戸水を汲んで通り庭の土間の台所を使っていた生活から、ドアのある玄関、お客様には応接間でソファに座っていただきく様式が実現しています。

玄関廻りにはタイルの腰張り、浴室やトイレ、洗面台もタイル貼りの作り付け仕様でした。当初風呂は薪焚きでのちにプロパンそして都市ガスへと移行します。照明のスイッチが照明器具のプルスイッチから壁付けのスイッチになり、モダンなナショナル流し台にガステーブルが設置されますが、空調設備はさすがにまだない住まいです。

工事に際しては、地元大工棟梁が仕切り、地元土工と左官、建具屋さんらが一緒に家造りをした時代ですので、顔の見える普請が頼もしく古き良き時代が感じられます。とくに左官の土付けの緻密さは目を見張ります(耐震性にもおおきく貢献!)。

奈良の民家の耐震性と大筋交い

こんな平穏な奈良の住まいですが、1995年阪神淡路大震災では奈良も結構揺れました。はるか神戸から巨人がどっしどっし、やがてどどど・・・っと駆けてくるような地響きが奈良盆地にも及びました。長らく関西は関東のような地震はこないと思い込んでいましたので、奈良県人にはショッキングな揺れでした。

小屋裏の大筋交い 御所の民家

が、かつてこの建物が建つ100年前、安政の大地震が奈良南部をおそった教訓はかすかに現在の奈良の大工に残っていたようです。少なくとも奈良盆地南部の民家の天井裏や小屋裏には大筋交い(丸太ブレース)が入っていることによく出会います(御所、高田、八木)。六畳間ぐらいの天井裏で柱で囲まれた対角線を足場丸太のような木材で「バッテン状」、もしくは「ハの字状」に大きな筋交い(水平ブレース)が入っているのです。長さ1mの短い筋交いを四隅に設置する「火打ち梁」仕様より実効性のある大筋交い、いったい誰が使い始めたのでしょうか?

近現代の伝統木造の耐震

近現代の伝統木造の耐震の専門家のご教授によると、「耐震、広く言えば、その建物をどう持たせるか」に関する「手法の多くは古代から絶えず繰り返されてきた」といいます。ときの大工が発明したと思う画期的な手法は、200年前にすでに実施されていたりします。目の前の構造物に処方する手立てにそう多くのバリエーションがあるわけではないというのです。ただ今のような情報社会ではありませんので、それらはいつか忘れられ、また地震があると「発案」されてと繰り返します。違うのは先達の遺作が目の前にあるのと、道具や材料がかわることだけです。>>参考『耐震木造技術の近現代史 伝統木造家屋の合理性』

 

幕末 大和の大地震

1854年(嘉永7年)

安政伊賀地震(伊賀・伊勢・大和地震) – M 7.6、死者約1800人。
安政東海地震(東海・東南海地震) – M 8.4、死者2000~3000人。
安政南海地震 – M 8.4、死者1000~3000人。紀伊・土佐などで津波。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。
豊予海峡で地震 – M7.4。

嘉永7(1854)年は6月15日の伊賀上野地震、続いて11月4日に東海地震、11月5日に南海地震がおきました。
大和地震では、奈良で約500棟の全潰 60-300人余の死亡者 、大和郡山 150棟の全潰 130人の死亡者があったとの記録もあり、奈良県南部山之坊村(橿原市)の吉川家の記録(『甚太郎一代記』)の記録には、地震により母屋では生活できず、小屋住まいしたと記されていますし、奈良県北部の月ヶ瀬の今西家の記録「地震帳」(奈良市指定文化財)には揺れの強さについて「大大大大大大大をうぢしんニ付・・・」とその恐れおののき具合が記されているそうます。(参考:「幕末の大和と谷三山」谷山正道講演録より)

1855年 (安政2年)

金沢などで地震 – M 6.5、死者少なくとも203人。
安政江戸地震 – M 6.9、死者4700~1万1000人。

伝統木造の耐震についての相談、お連絡ください。何かでお役に立てたら幸いです。