数寄屋建築の耐震補強(西園寺公望別邸「坐漁荘」)

数寄屋建築の耐震性 数寄屋造の建物の耐震性はどうであろうか?

華奢な中に優美さを感じる数寄屋建築は、全体的に柱が細く自ずと土壁厚さも薄くなる。耐震要素である土壁の厚みが50㎜以下となる部分も出てくる。しかし数寄屋建築は優れた大工技術が必要で、細くてもいい材料を適材適所にきちっと組まれていることが多い(いい数寄屋普請は大工の腕がいい=安全性も踏まえた仕事ができている場合が多い)。

では建物はどのようにして持ちこたえているのか?

良質の柱、梁など相互が継ぎ手・仕口において組み合わされ、「総持ち」であると、坐漁荘修理報告書には書かれている。総持ちほど便利だが無責任な言葉はないのだが、解析不可能な場合によくつかう便利な言葉である。

修理報告書は総持ちを次のように解析している。

「修理前、限界耐力計算による耐震診断を実施した。この際、平屋部分と二階建部分では振動特性が異なるため、それぞれ個別に耐震性能を評価した。耐震診断の結果、特に二階建部分では、極めて稀に発生する地震動に対する最大応答層間変形角が、安全確保水準である1/30を大きく超え、耐震性能が低いことが判明した。」

が、「既存の耐震要素に着目した耐震性能の把握(坐漁荘には、少なくとも昭和4年(1929)の増改築時迄に施されたと考えられる三角形状の歪止金物、帯鉄による筋違金物、欄間金物などが各所に配されていた。これらの金物の・・・中略・・・供試体を作製し、名古屋大学の協力のもと静的載荷実験による評価を行った。)実験の結果、4種類の金物は、破壊性状、最大耐力ともに、現在の木造建造物の耐震補強金物として評価が可能であることが判明した。」ので、

「上記、実験結果を踏まえて、既存金物を耐震金物として評価し、再度、耐震診断を行った。この診断の結果、耐力の不足部分について、構造用合板格子壁等による構造補強の計画を策定し、二階建部分の壁面にバランスよく補強壁を配置、特に一階次ノ間南面の壁面に格子壁補強を設けた。また・・・中略・・・土壁部分の下地を、補強壁など他の耐震要素とのバランスを考慮しつつ、可能な限り旧来の竹小舞下地に復した。」ら、「新補の耐震補強、旧来の竹小舞下地への復旧を考慮したうえで、改めて耐震診断を行った結果、平屋部分、二階建部分ともに、極めて稀に発生する地震動に対する最大応答層間変形角1/30以下を担保する結果を得た。」

西園寺公望邸「坐漁荘」修理工事報告書 2015


「総持ち」していながら現在の耐震性には足りていないので、修理に際し「重要文化財(建造物)耐震診断指針に沿って耐震診断を行い、重要文化財(建造物)耐震基礎診断実施要領に示された必要耐震性能を安全確保水準(大地震動時に倒壊しない)に設定して耐震補強工事を実施し」、「建物の見え掛り部分の美観を可能な限り損なうことなく、ある程度向上させること=最大応答層間変形角1/30以下を担保する」と示し、それを達成している。

昨今明治村のような展示施設ですら、いつ何時の地震に備え「ある程度」=「層間変形角1/30以下」を叶えて初めてひとを中に入れる時代となったといえる。

見学ルート=晴れのスペースからの見え隠れスペースをうまく探し出し利用して、こっそり補強。結果、限界耐力計算で1/30をクリアさせるために格闘する、のが文化財的建造物活用の際の耐震の考え方といえる。

坐漁荘は高官西園寺公望の住居であり執務空間であったため通常の町家よりは施工者の腕も知恵も優っていたし、安全性への配慮も並大抵ではないのが随所に見て取れる建物である。

ましてや関東大震災を経ての戦前建築はどこかに耐震性への挑戦が試みられているので、そうした匠の努力もうまく汲み取って(普請をリスペクトして)耐震計画をしたいものである。坐漁荘は震災前の建物である。

2003年登録西園寺公望別邸「坐漁荘」:大正9年築→昭和4年増築→昭和46年移築

住宅建築別冊18「数寄屋建築詳細図集-茶室・水屋・露地編」

オンデマンド (ペーパーバック) – 2023/5/30
建築思潮研究所 (著)

数寄屋建築の中でも一番難しいとされる茶室、水屋、露地の建築物に関して、60年以上も数寄屋大工として活躍してきた俣野忠蔵棟梁の持つ数奇屋の伝統的技法を、詳細図面及び写真で紹介。

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